半生記振り返り

みなさんこんにちは、チョークと申します。
こちらのブログでは本の感想生活改善情報健康情報から、人生をより豊かに過ごすための情報を発信しています。中の人の半生記Xはこちら。よろしくお願いします。

普段色々な記事を書いている私ですが、どんな人間か知ってもらわないと、説得力が低いと感じました。

公開できる範囲の情報になりますが、中の人の半生記として、よろしければ読んでください。

幼少期

1994年、埼玉県所沢市で会社員の父親、教員の母親の下に生まれました。結構遅くに生まれた一人っ子ということで、今思うと一身に愛を注いでもらっていたと感謝しています。

幼い頃、秋田のなまはげが怖くて仕方なかった

幼少期は山梨に住んでいた母方の祖父母が大好きで、ドーンと富士山の見える祖父母の家近辺で遊んでいたことをよく覚えています。

祖父母の家には自前の天文台があり(祖父の趣味!)よく星を見させてもらいました。木星や土星等、肉眼ではなかなか見えない星を見れたのは衝撃が大きかったです。思い出すとその記憶ばかりで、おじいちゃん、おばあちゃん子であったと振り返って気付きました。両親が共働きであった影響も大きいと思います。

ただ両親も一人で寂しくないように、図鑑や絵本を多く買ってくれたのが今の私の礎になっていると感じています。特に恐竜が大好きで、結構分厚い図鑑の恐竜の絵を全部紙に模写したりしてました。今思うと驚異的な集中力、継続力です。過去の自分に嫉妬。

そんなこんなで、知識、科学に興味を持つこと、じっくりと打ち込むことができることという、現在の私の性格の基になっている幼少期でした。

小学生

小学校に入ると学童に通い、泥団子づくり、ペーパークラフト、年1回のキャンプ等、インドアアウトドア両面で楽しい経験ができたと思います。

学童は低学年までで卒業し、自由に友達と遊ぶようになりました。ゲームしたり公園で野球やサッカーをしたり等、よくいる小学生男子でした。

大きな転機になったのは4年生ごろ、友達に西武ドームに連れて行かれた時です。地元なのにむしろ行ったことがなかったのが不思議ですが、生で見るプロスポーツの熱気に大興奮しました。今思うと野球が好きになったというより、大観衆の前で自分もプレーできるようになりたい、と思ったのが始まりだと思います。

という訳で野球に目覚め、大学までプレーを続ける等、以降の人生で大きな部分を占めることになりました。

西武ドームが家から近く、ライオンズのファンに。現在まで続く推し活となる

小学生では友達と野球ができるのが、ただただ楽しかったです。チームに入ったのは結局5年生からで、周りはもっと早く始めている人が多かったため、もっと早く出会っていれば、と思ったりもしていました。

また、初恋も小学生で経験しました。マセガキ。ただ付き合うとかそんなことは一切なく、片思いなだけでした。振り返ると、好みの基準が今とほとんど同じで、好みは小学生で出来上がるんだな、と感じています。

中学校

中学はそのまま地元の公立中学に進学しています。中学校時代は、色々と壁にぶつかった期間でした。

まず、いじめと言うほどではないけど強めのいじりを受けるようになったことが大きいです。悪ガキがいて、私以外にも複数人被害者がいました。少し学生時代にそういう経験をするだけで、人生を大きく変えてしまう可能性があります。いじめは本当にクソ。

きつい時期もありましたが、2人の親友に「お前は何も悪くない」と言って支えてもらいながら、乗り越えることができました。九州に引っ越した関係であまり会えてませんが、今でも帰省の際には飲みに行く等、関係が続いています。親友に感謝。持つべきものは友。

そして部活で続けていた野球でもなかなか結果も出ず、学生野球あるあるの先輩方の厳しいご指導もあり、最高に野球が嫌いになった時期でした。なぜやめなかった当時の自分。

しかしここで、狂ったようにバットの素振りをするようになり、結果バッティングが上達して試合に出られるようになりました。こう書くと努力して乗り越えた話みたいですが、実態は現実逃避だったと思います。無心でバットを振ることが、ストレス発散になっており、結果的にバッティングもセットで上達したと今では思います。

更に中学では勉強でも壁に当たりました。それまでは授業だけ受けてればテストなんて簡単、と思っていました。書いてて自分でも傲慢だと思います。

ですが最初の頃の英語と数学で衝撃の赤点を取り、厳しかった父親(しかも理系で数学に敏感)にバチクソ叱られました。そこである程度、勉強もちゃんとするようになり、なんとか回復させることができました。

ただ、理科は担当の先生が天文系に詳しい人で、幼少期に書いているように私も星を見るのが好きだったため、天文には強い興味を抱くようになりました。科学に関心が強いのはこの辺りの経験も大きいと思います。

このように、人間関係、運動、勉強で壁に当たり、なんとかもがいて乗り越えた経験ができたので、振り返るといい経験でした。あまり振り返りたくない記憶ですが。

高校

高校も地元の公立高校に進学しました。高校選定基準は「家から一番近い」からです。でもいい高校でした。

自分では届かなかったが、甲子園に観戦に行ったことは思い出

高校でも相変わらず野球を続けていました。大した成績は残せませんでしたが、本気で熱中し、やりきれたことはいい思い出です。

そして高校時代、筋トレに出会います。筋トレは確実に成果が出るので、当時、そして間は空きますが現在も行っている趣味の一つになりました。

また高校時代は勉強も人間関係もうまくいっていたので、トータルではいい青春が送れたと思っています。人生初の彼女ができたときは飛び上がって喜びました。

勉強もこのころから、予習、授業、復習がルーティン化でき、比較的好成績を取れるようになりました。得意科目は国語・理科系・社会系。なのである程度進路を選べる状況になり、スポーツや健康について学べる都内の大学に進むことにしました。明確にこれがしたい、ということはありませんでしたが、スポーツ・健康・科学、どれも好きなこと、学びたいことなので、自分に会っていると考え決定しました。

またこのころから、好きなことをコツコツと続ける力があることに気付きました。深く熱中することはできませんが、長期間にわたって、続けることだけは自信を持つようになりました。

大学

ということで都内の大学に進学し、運動や人体について学ぶことができました。これについては今も関係のある仕事についているので、無駄ではなかったと思います。(スポーツではありませんが)これから就職する、という方は自分の興味がある分野を志すのが、やはりいいと思います。好きこそものの上手なれ、です。

当時は野球に加え、バイトしたり、テニスを趣味で始めたり、海外旅行に沢山行きたいと思うようになりました。普通の大学生すぎて、牙が取れた感じがします。

錦織旋風に乗り、テニスにはまった大学時代

しかし、野球の部活に入り、旅行にはそうそう行けませんでした。結局野球とバイト、たまの休みに友達をテニスするという生活になり、忙しくも充実した毎日でした。

ただ、部活のメンバーについては、高校の時ほどの友人関係にはなれませんでした。恐らくそこそこの名門大学に入ってしまったからだと思うのですが、プライドが高く、柔軟な考えを受け入れられない人が多かったからです。その組織はうまく回っていたし、入ったのは私なので私がずれていたのだと今では解釈しています。ただ、野球のうまさや頭の良さよりも、性格や倫理観が大事だと強く意識するようになりました。

バイトでは、飲食店のホール、西武ドームの監視員、ライブの設営、派遣の工場作業等複数のバイトを経験しました。

特に飲食店ではメンバーの仲が良く、またお酒を覚える等楽しい時間を過ごせました。仕事面でも接客や効率よく動くこと等、現在の仕事にも生きる経験を積むことができたと思っています。

西武ドームのバイトは打球が観客席に飛んだら「ピー」と笛を鳴らすやつで、タダで、なんならお金をもらいながら野球が見れたので神バイトでした。日本時代の大谷翔平選手なんかも沢山見れたのがよかったです。

タイの渋滞。海外旅行に何回か行けてよかった

ということであっという間に就活になりますが、当初は野球用具のメーカーとかトレーナー等も応募しようと考えていました。ただ段々と、健康関連の分野が私の性格には合っているのではないかと思うようになりました。

悩みましたが、科学・健康に興味があること、割と勉強が得意と気付いたこと、接客をどのバイトでも褒められたことを軸に考えるようになりました。その結果、医薬品の営業職(いわゆるMR)を志し、無事就職することができました。就活自体はかなりきつかったので二度としたくありません。

就活が終わってからは部活も引退していたため、タイ、イタリア、グアム、ハワイに海外旅行に行きました。特に思い出深いのはタイとイタリアです。グアムとハワイは卒業旅行です。今しかないからと親に借金までして行きました。親に感謝。もちろん返済済み。

タイでは新興国としての成長途上の活気、そして物価、特に食べ物の安さに衝撃を受けました。また画像のように運転がめちゃくちゃで、バイクも多く文化の違いをこれでもかと見せられた思い出です。

イタリアはイメージ通りではありますが、どこに行っても絵になる美しい景観がまず魅力です。また世界史で受験したため「資料集で見たやつ!」と遺産や美術品を巡り、同伴の友人をほったらかしで楽しんでいました。文句言わず合わせてくれてた友人に感謝。

海外旅行は失敗もあったり、感動もあったり、多くの経験が積め、また現地の文化を感じられるのでとてもいい経験になりました。

振り返ると、よくも悪くも多くのことを経験し、社会にでる準備ができた大学時代だったと思います。

社会人(20代)

ということで無事就職し、人生初の大阪に住み始めることになりました。同期との研修期間は勉強に遊びに毎日忙しかったです。

大阪本社の会社のため、甲子園にも行けた。ちなみに相手は交流戦の西武。

そして、また大きな人生の転機がやってきました。九州への配属です。それまで私は高校の卒業旅行で沖縄に行って以来、九州本土に至っては初上陸でしたので、縁もゆかりもありませんでした。しかも初めての1人暮らし。今思うとかなりの転換点ですが、当時の私は意外とすんなり受け入れたことを覚えています。恐らく、若く活力に満ちていたので、日本の色々なところを見て経験したい!という思いがあったのだと思います。その若さはもうない…

仕事についてはある程度向いている仕事だったようで、上位に入る成績を安定して出すことができています。先輩方の雰囲気も好きで色々なことを教えてもらいつつ、飲みにもよく連れて行ってもらいました。このころに私の肝臓は大いに鍛えられました。

しかし入社3年目、コロナ禍がやってきました。営業職なので影響はもろに受け、ほとんど訪問することができなくなりました。仕事の時間はできることが少ないので読書や投資の勉強、レザークラフト等に手を出しました。バレたら怖い。そして夜には、ゲームに目覚めてしまいました。

ゲームは実家では親の方針で買ってもらえず、社会人になってからPS4とSwitchを購入。学生時代満足にできなかった反動なのかドはまりしてしまい、遅れを取り戻すかのように沢山のゲームをプレイしました。このように、親が何かを制限すると反動が来るので、厳しく制限するのはやめようと反面教師にするつもりです。

そんな昼も夜もほとんど家から出ず、夜は酒を片手にゲームしていたら、20代にして体脂肪25%オーバーに。元々筋肉質だったので多少はごまかせてましたが、さすがに隠し切れないデブになってしまいました。あそこまで太ったのは本当に余計でした。そもそも太らないのがベストですね。

九州に転勤、結婚も。

そして徐々にコロナの勢いが収束し始めたころ、現在の奥さんと出会います。出会いはマッチングアプリ。今風です。しかし、実は仕事先で面識があったことが発覚。最初私は気づいておらず、相手に言われて、あー!あの!となりました。気付かずすいませんでした。

なんやかんやで同棲、結婚と至りました。出会って4年、結婚して2年半になりますが仲良く暮らしています。まだまだペーペーですが、仲良しの秘訣はあけっぴろげでいること、お互いよく話し会うことだと思っています。家事は私が料理を全くできないため、分担制にしています。子供ができたらさすがに料理もしないとな、と戦慄しています。お金の管理や諸々の家事を私もしているので、負担が偏ってはいないと(私は)思っています。奥さんに読まれたら怖い。

ということで転勤、結婚と大きく環境は変わりましたが、九州がほんとに好きになりましたし、忙しくも充実した20代を過ごせたと思います。

現在

そして今年、ついに節目の30歳を迎えました。もう若くないのかな、と思いつつ、体はまだまだ元気です。ここ最近では筋トレに再び目覚め、食事にも気を遣うようになり、なんとか減量に成功しています。

ここまでをまとめると、科学と知識と野球とが好きで、仕事はそこそこ充実し、筋トレを趣味として楽しんでいる男です。まとめてしまうとどこにでもいそうですが、半生を振り返ることで色々あったな、と懐かしくなりました。

このブログは30歳をきっかけに、何かを始めたいと思ったのがきっかけです。ささやかですがそれなりに学びのある人生でしたので、何かお役に立てることがあればと思っています。

ひたすらな自分語りの記事を最後までご覧いただき、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

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